「何だよ、まだ2時間もあるじゃねーか」
 バス停の時刻表を見て毒づく俺。
「これならもう少しゆっくりしておきゃ良かったな」
 ま、向こうにいたところでただゴロゴロするだけなんだが。俺は少ない手荷物を地面に下ろし、ベンチに腰掛けた。
「……ミシミシッて、壊れたりしないだろうなぁコレ」
 ベンチの強度に少し不安を感じながら、ポケットから携帯電話を取り出す。
「ホントにあと2時間か……」
 時間はちょうど昼の12時をまわったところだった。
 次のバスが来るのが14時頃。それだけの時間をただベンチに腰掛けて待ってるのも、何かバカらしい気がする。いっぺん引き返すって言う手もあるが……
「そしたらまた泊まっていけってしつこく言われそうだしなぁ……」
 まぁ、それが嫌だったからわざわざ昼間から動いたわけだが。
「……暇だな」


 西桜村と呼ばれるこの村は、人口1000人に満たない山間の小さな村だ。
 俺、竹山敬二がここにやってきたのは3日前のこと。この村に暮らす祖父が倒れたと電話が入り、慌てて駆けつけてきた。
 だが、倒れたと言っても農作業中にぎっくり腰になっただけで大した事はなく、せっかく来たんだからと農作業を手伝わされる羽目に。まぁ、久々に祖父母の顔も見れたし、何より大事に至らなくて良かったと思う。
 この3日間は久しぶりに孫が帰ってきてくれたという事で、至れり尽くせりの待遇を受けた。見舞いに来たはずなのに逆にもてなされている状態。まぁ、ありがたい事この上ないんだが。
 ……でも、やっぱり尋ねられるのは今の俺の状況ばかり。心配してくれるのはありがたいんだが、何だか居づらくなって、予定よりも早く家を飛び出してきた。

「……次の身の振り方、考えた方がいいかもな」
 もう5年目……そう、今年が最後のチャンスと言っても過言ではなかろう。
 長袖のシャツに隠れた右肘を見つめる。
「……投げられるのか、俺に」


 地面に下ろしたカバンの口から、茶色いグローブが見える。
 ローマ字で刺繍された『Takeyama』の文字。

 俺、竹山敬二の職業は、プロ野球選手だ。






キャッチボール






 今から5年前の高3の秋、俺は在京のとある球団にドラフト6位で指名された。
 甲子園こそ出られなかったが、プロになりたい一心で練習に打ち込んできた高校時代。
 投手である俺は、雨の日だろうと雪の日だろうと投げ込みを怠る事無く続けてきて、おかげで地方大会ではそこそこの成績を残す事ができた。
 それが偶然スカウトの目にも止まる事となって、ドラフト指名という幸運を得ることができたわけだ。

 晴れてプロ野球の世界に飛び込んだ俺だったが、苦難はすぐに訪れた。
 二軍戦に初めて登板した際にめった打ちにされ、プロの壁を痛いほど痛感。まぁその事自体はどんな選手でも一度は通る壁。問題はその後だった。
 そこでやっけになった俺はトレーナーの制止も聞かず、高校時代以上の練習をひたすら続けた。
 そんなオーバーワークばかり続けているものだから、俺の肘が悲鳴を上げたのは言うまでもない。1年目の秋に肘を痛め、その翌年を完全に棒に振った。
 復活を期した3年目だったが、やはり1年間のブランクは大きく、思うような成績が上がらない。
 それでも熱心な練習姿勢が認められ、4年目の去年、初めてキャンプを一軍で向かえる事になった。
 が、そこで1年目同様熱くなりすぎて、開幕直前に再び肘を襲う激しい痛み。結局その年も棒に振ることになり、秋にはついにメスを入れた。

 長袖のシャツをめくる。肘に残る生々しい手術の跡。
「今年で5年目……」
 そう、俺はプロ野球選手として5年目の春を迎えた。
 今は4月。もうとっくにシーズンは始まっている。俺は例年同様2軍スタート。しかもまだ術後のリハビリの段階なので、2軍戦にすら出れない状況。
 まぁ、そんなはっきり言って暇な状況だから、祖父が倒れたと言って即帰ってこれたわけだが。
「来年はもっと暇になってるかもな……」
 そう自分でつぶやいて、鬱になる。
 今年結果を出さなければ、もう俺に後はない。しかしこのザマだ……、本気で再就職先を探した方がいいのかもしれないな。




「……桜」
 目の前を、春風に運ばれてきた桜の花びらが舞っていく。
 風の吹いてきた方を見ると、バス停のすぐ隣にある大きな桜の木が、花を満開に咲かせている。
 そして、いつの間にか隣のベンチに人が座っている事に気が付いた。
「……」
 それはセーラー服姿の少女だった。
 彼女も俺同様、舞い散る桜の花びらを目で追っていた。
 長い黒髪が、風でかすかに揺れている。
『学生か……』
 足元には大きめのバックが置いてある。学校指定のものだろうか。腕時計を見やる彼女。今から通学か……?
『それにしても……』
 もう一度彼女の制服にチラッと目をやる。この服、どこかで見た覚えが……

 一瞬、彼女と目が合った。慌てて顔を逸らす。
 ……そんなジロジロ見てたら、ただの変態親父だよな。
 目を合わせないよう、携帯で適当にメールを打つ素振りを見せる。しかし……先程から執拗に感じる隣からの視線。
 横目でチラッと見やると、彼女の方も俺を凝視しているようだ。……やっぱりさっき目が合って、変な人だと思われたのだろうか。

「あ、あの」
 突然、彼女が俺に話しかけてきた。
「あの、ちょっとお尋ねしたいんですが……」
「ん、何?」
「間違ってたらごめんなさい。もしかして……横須賀の竹山選手ですか?」
「えっ!?」
 自分の名前を言われ、相当驚いた。それこそ飛び上がるくらいに。
「竹山選手ですよね?」
「え、あ、まぁそうだけど……」
「やっぱりそうだ!!うわぁ〜、まさかこんな所で遭遇するなんて……」
 満面の笑顔で喜びを体現する彼女。ホント、飛び上がるように喜んでいるように見える。
「え、あぁ……」
 普通プロ野球選手は、己を見て喜んでくれるファンに会えるとものすごく嬉しいものなのだが、その前に俺の中では大きな疑問が生じていた。
「……でも、何で俺の事が分かったんだ?」
 入団5年目、未だ一軍登録経験のない万年二軍選手。
 テレビや新聞の紙面になんか出るわけも無く、普通の人が俺の顔を知るには選手名鑑でも見るほかないわけだが。しかも名鑑を見たと言っても、俺の顔なんざ大して特長的でも無いし……
「え、あぁー、そりゃ分かりますよ。竹山選手は南高の生んだスターなんですから」
「えっ?」
 南校……、県立南高等学校……
「あぁ!その制服!!」
 思い出した、この娘の着ているセーラー服って、俺の母校、南高校の制服じゃないか。
「キミ、ひょっとして南高の人間?」
「ハイ、そうですっ」
 笑顔で答える少女。
「はぁー、だったら俺を知ってても……いや、よく知ってたね俺の事」
 自惚れてはいかんいかん。いくら南高初のプロ野球選手と言っても、万年二軍の人間にそんな知名度があるわけがない。
「はいっ、確かに普通は気付きませんよね。て言うかうちの高校からプロ野球選手が出てるって事自体、ほとんどの人が知らないと思いますしね」
「……」
 そこまでズバッと言われると、正直凹むなぁ……
「じゃあ何でキミは俺が竹山だって分かったんだ?もしかして……ファン?」
「いやいやまさかぁ〜」
「……」
 即座に否定される。つか、普通そんなはっきりと言わんだろう……
「私、南高野球部のマネージャーやってるんですよ。それでたまたま知ってまして」
「……たまたま、ねぇ」
この娘、自分ではまったく気付かずに人を傷つける能力持ってるな……
「で、私、風岡春香って言います。はいこれ生徒証」
「あ、あぁ……」
 そう言って財布から取り出した生徒証を俺に見せ付けてくる彼女。
 ……ちょっと変わってるけど明るい娘だな。確かに野球部のマネージャーには向いてる性格かも。
「でも、キミみたいな娘がマネージャーかぁ……、うちの部も出世したもんだ」
「ん、どういうことですか?」
「いや、まぁ俺らの代でも野球部にマネージャーは居たんだけど、男がやってたりしたからなぁ」
「そうなんですか!?」
「あぁ。女子マネージャーがいるテニス部がそーとー羨ましかったりしたなぁ」
「フフフッ、大変だったんですね」
「だなー。当時のグラウンドにはナイター設備も無かったし……」
 と言った感じで、南高野球部の今昔についての話に華を咲かせる俺たち。
 穏やかな春の陽気に包まれた山村に、楽しげな笑い声が幾度と無くこだましていた。




「それはそうと」
「ん?」
 極力この話題を避けて話を続けてきたが、彼女に質問されてしまった。
「何で竹山さんがこんな所にいるんですか?」
「ん、あぁ……」
 正直、触れられたくない話だった。
「その前に風岡さん、だったっけ。何でキミもこんな時間にバス停に? 授業とっくに始まってるよね?」
「アハハ……、お恥ずかしながら、寝坊です」
 そう言って舌を出す彼女。
「私、家から学校までバスで通ってるんですけど、ここって田舎でバスの本数少ないでしょ。朝の便乗り損ねたら、もう昼過ぎの便まで出ないんですよね」
「はぁ。でも今から行ったんじゃ授業終わってないか?」
「最初ッから授業の方は諦めてます。学生カバンだって持って行ってないし」
 確かに、彼女の足元には黒い学生カバンは見当たらない。
「じゃあ何をしに……」
「部活ですよ。野球部のマネージメントって言うんですかね」
「えっ?」
「自分で言うのも何なんですけど、私って本当に野球が好きなんです。女の子にしては珍しいって友だちにもよく言われます。竹山さんもそう思うでしょ?」
「え、あぁ……、でも野球人としてはすごくありがたいな」
「フフッ、ありがとうございます」
 そう笑う彼女の顔を見て、本当に野球が好きなんだなと思った。
「野球と言っても見てる方が好き、だから最も身近で野球が見られる、マネージャーになったんです。あと元々世話好きって性格なんで、マネージャーの仕事とかすっごく楽しいですね」
 目の前でそう語る彼女。まさにマネージャーの鑑だな、そう思った。今の南高野球部員が心底うらやましいな、ホント。


「で、私の事はいいんですよ。何で竹山さんこそこんな田舎のバス停に?」
「あ、あぁ……」
 ちっ、うまく話をはぐらかせたと思ったのにな……
「……うちのじいさんがこの村の人間でな、それが倒れたって話を聞いて駆けつけて来たんだ」
「えっ、大丈夫なんですか!?」
「あぁ。ただのぎっくり腰。そんな大騒ぎする事も無かったな」
「それはよかったです。へぇー、うちの近所に竹山さんの身内の方がいたんだぁ……」
「で、今は帰りのバスを待ってるわけ」
「そうなんですかぁ〜。でもよく駆けつけられましたね、もうシーズン始まってるでしょ?」
「うっ……」
 一番触れたくない核心を突いてきやがったか……
「まぁ、知ってるかどうか分かんないけど、俺、万年二軍だしな」
 そう言って自嘲気味に笑う。あえて反応し辛い言葉を選んだわけだが……
「あぁー、確かにまだ一軍昇格も無かったですよね」
「……」
 普通に返してきやがったし……、凹むぞ、俺。
「……まぁ、そういう訳で暇は十分あったって事だ」
「でも二軍戦も始まってますよね?」
「……去年の秋に右肘を手術してな。今はそのリハビリ期間なんだ」
「あ、確か新聞かなんかで聞いたことあります。とりあえず開幕には間に合わないとか……」
「そ。キャッチボール程度は出来るけど、まだ本格的に投球できるところには来てないんだよな」
「そうなんですか……」
「……」
「……」


 ベンチに沈黙が流れる。やっぱり、初対面の人間にするような話じゃなかったな。

 でも、ここで何を思ったのか、俺は今の自分の心境を、この見ず知らずの後輩に打ち明けたくなっていた。
 今まで身内にも余計な心配かけさすまいと相談できなかった話。肘の事を言ってしまったのである意味吹っ切れたのか、全部を吐き出したくなっていた。
「……気まずいついでにいいかな?」
「え、いやそんな、気まずいって事はないですけど……」
「ハハハッ、それならまぁいいんだけど」
「……」
「俺さ……、今、野球人としてやっていけるのかすごく不安になってるんだ」
「……え?」
「って、いきなりこんな話されても困るよな。でも……ここで逢ったのも何かの縁。いや、腐れ縁と思って俺のつまらない話を聞いてくれないかな?」
「え、それは構いませんけど……」
「ありがとう。まぁ別に聞き流してくれて構わないからさ」
 そう言って俺は腰を浮かせてベンチに座りなおし、今の思いを言葉にしていった。
「知ってるか知らないか分からないけど、俺って入団当時から練習のし過ぎで故障しがちなところがあったんだ」
「その話は知ってます。うちの顧問、よく竹山さんを引き合いに出して練習しすぎてる部員に抑えるよう言い聞かせてますよ」
「……反面教師かよ」
 顧問と言うか監督、確か俺の時と変わってなかったはずだな。温厚そうに見えて裏ではいろいろ言ってるからなぁ……、畜生、あのハゲ山め。
「まぁそれは置いといて、練習しまくったのは周りの皆に追いつこうと思ったからなんだ。やっぱり俺なんてプロになれる器じゃなかったんだよ」
「そ、そんなことないですよ!!」
「いや、実際試合とかやってみて痛感したし。だからがむしゃらに練習した。少しでもプロらしくなれるよう練習しまくった。そして故障した」
「……」
「でも、当時は故障しても俺は手術する事を拒んだ。正直怖かったし、それに、一種の賭けだったし」
「賭け?」
「そう。やっぱり失敗する可能性もあるわけだし。それこそ選手生命が終わりかねない」
「で、でも失敗より成功する確率のほうが高いじゃないですか。手術して復活したって選手いっぱいいますし」
「あぁ。それは知ってる。まぁ本当は手術に対する恐怖心は少なかった。さっき言った賭けって言うのはもう一つの意味があってね」
「もう一つの……意味」
「あぁ。手術した事を言い訳に、野球人生を終えることが出来るか否かって事」
「えっ?」
「さっきも言ったように、俺、野球人としての自信を半分失っていたんだ。手術した事は一種の逃げ。結果が出なくてもこれを言い訳にすればいい、そんな卑怯な事を考えていたんだ」
「……」
「入団して5年目。今年結果が出なかったらまずクビだろう。そんな最後の年に、最後の賭けに出たんだ」
「……」
「これでダメならスッパリ諦めがつく。まぁ現時点で半分諦めてるところもあるんだけどな」
「そんな……」
「フゥ……」
 立ち上がり、一つため息をつく。
 言葉にしてみて改めて思ったが、つくづく俺って情けない男だよな。


 ボトンっ……


「ん?」
 立ち上がった俺のズボンのポケットから、一つの野球ボールが地面に落ちた。
 そういえば祖父母の家にちょうど姉夫婦が息子を連れて見舞いに来てて、その甥っ子とキャッチボールをしてたんだったな。
「カバンに入れずにそのままポケットに入れたまんまだったな」
 俺はそのボールを拾おうと手を伸ばしたが……
「あ」
 先に伸びた彼女の手が、ボールを掴んでいた。
「……」
「風岡さん?」
「……ちょっとキャッチボールでもしませんか?」
「え?」
「ほら、どうせまだバスは来ないし。ちょうど私、部員用のグローブも持ってるんですよ」
 そう言って足元のカバンからグローブを取り出す彼女。
「どうですか、やりませんか? リハビリも兼ねて」
「ん、あぁ……、そうだな」
「じゃあちょっと待ってくださいね。確か補習するんで3個はグローブ持って帰ったと思うけど……」
「あ、俺、自分の持ってるからいいよ」
「え?」
 そう言ってカバンから自分の名前が刺繍されたグローブを取り出す。
「うわぁ〜、プロ野球選手の人とキャッチボール出来るなんて夢みたいですよ、ホント」
「まぁプロと言ってもセミプロみたいなもんだけどな」
「……ま、まぁとりあえず道路の方にでも出ましょうか」
 そう言われ、俺たち二人はバス停の前の舗装された道路に出た。




パシッ。

パシッ。

グローブにボールが収まる小気味よい音が響き渡る。
「いい天気ですね、ホント」
「確かにな」
 暑くもなく寒くもなく、まさに春そのものな心地よい気候。
「しかし、桜の下でキャッチボールってのも、なかなか乙だな」
「フフフッ、そうですね」
 道路の脇には、バス停とそれに一本の大きな桜の木がある。桜舞い散る中で、俺たちはキャッチボールをしているわけだ。
「それにしても……いい球投げるね、キミ」
「ま、伊達に野球部のマネージャーやってませんよ」
 そう言って笑う風岡さんだが、女の子にしてはホントいい球を投げていた。おかげでキャッチボールするこっちにもメリハリが付いてありがたい。
「……竹山さん、さっきの話ですけど」
「ん、あぁ……あの話ね」
「はい。そんなにプロの世界って、厳しいですか?」
「んー、そうだね。そうそう通用するモンじゃないよ」
「そうですか……。今の野球部にもプロ志望の部員、結構いるんですよね」
「ほぉー、向上心の高い後輩たちを持って、おじさん嬉しいよ」
「フフフッ。そんな皆にとって、竹山さんはそれこそ憧れなんですよ?」
「やだなぁ……、そんな憧れられる器じゃないよ、俺なんか」
「そんな事言わないで下さいよ。みんな厳しいプロの世界で頑張ってる先輩を見て、よし自分たちも頑張ろうって言う気になってるんですから」
 彼女からの返球が、少し力強くなっていた。
「……頑張ってるのかな、俺」
「今日こうして竹山さんと逢えたんですけど、そんな自分に自信のない発言ばかり聞いて、ちょっと残念です……」
「……」
「……」
 その後しばらく無言のボールの投げ合いが続いた。

「……竹山さん」
「ん?」
「さっき……これでダメならスッパリ諦めがつくって言ってましたけど、本当に諦められますか?」
「……」
「少なくとも、今の時点じゃ諦めつきませんよね。せめてやるだけの事はやらないと……」
「……」
「何かさっきの口ぶりじゃ、やる前にもうダメだって言う風に感じられましたし……」
「そういう意味で言ったわけじゃ……」
 反論しようとしたが、正直心のどこかでそう思っていたのかもしれない。
 もうどうせダメだ……、そうどこかで決め付けていた。
「……さっきも言いましたけど、竹山さんはみんなの憧れなんですよ」
 バシッ
「私も含めた野球部のみんなが、竹山さんの活躍を期待してるんですよ!」
 バシッ
「なのに……、そんな投げる前に諦めたようなこと言わないで下さいっ!!」
 シュッ……
 彼女の投げたボールは、俺のグローブをかすめて後ろの方に飛んでいった。
「おっとっと……」
 俺はすぐさまボールを追いかけようとしたが、彼女の睨むような視線に気が付いた。
「か、風岡さん……?」
「……投げられるじゃないですか、まだ」
「え……?」
「今キャッチボールしましたけど、普通に投げられるじゃないですか!」
「そ、そりゃまぁキャッチボールくらいは出来るし……」
「だったらピッチャーとしてもまだ頑張れるんじゃないんですか?」
「……いや、そう簡単に言うけどね」
「素人の考えだっていう事は分かってます。でも……、諦めてほしくないんです。さっきから竹山さんの話聞いてたら、どこか諦めた感じがしてたまらなくて……」
「……」
「さっきも言いましたけど、みんな竹山さんと言う先輩に憧れてるんですよ。そんな無碍にもうダメだなんて言わないで下さいっ!!」


 風が吹き、何百枚もの桜の花びらが宙を舞う。
 満開に咲いて、そして散ってゆく桜。
 桜の、特にこの散り際が儚くて好きだと言う人は多い。
 それを儚いと思えるのは、その桜が満開に咲き誇ったからなのだろうか。
 もし5分咲きもしてない桜がその花を散らして、果たして人はそれを美しいと言うのだろうか。

「……とりあえずボール取って来るな」

 満開に咲いた桜が散り行く姿は、それは雄大なものがある。
 人は、その雄大さを美しいの言うのだろうか。
 もしかすると、その満開に咲こうとする努力を美しいと言うのだろうか。

「……」
 ボールは、ちょうど桜の木の根元に転がってきていた。
 その桜の木を見上げる。
「……」
 散る事が分かっていても、花を咲かせる桜。
 散る事が分かっていても、花を咲かせようとする桜。

 失敗するかも分からないのに、ボールを投げるのを躊躇う自分。
 散るかどうか分からないのに、花を咲かせるのを躊躇う自分。

「……」
 俺はボールを手に取って、彼女の元に戻った。




 バスの車内。
「……っと、こんなもんかな」
「はい。ありがとうございます〜」
 先程までキャッチボールしていたボールにサインを書き入れる。
「でも俺のサインボールなんか、まず何の希少価値も出ないぞ?」
「そんな事ないですって。大事に部室に飾らせてもらいますよ」
「まぁ、俺がまさかまさかの大活躍を遂げれば、多少は値打ちの出るものにもなるかな」
「フフフッ、そうですね」
 ちょっと無理しながらも、前向きな発言を心がける。正直、諦め腐ってた部分が多かったからな、自分。

 彼女とのやり取りの中で気付かされた事は多かった。
 俺は、何もやらないうちからうじうじ悩んでいただけだったのだ。こうやって前向きになる事も、大事な事なのかもしれない。
 また、こちらに戻ってきた時の憂鬱な気分も、いつの間にか吹っ切れていた。こりゃ後輩の檄に救われたな。


 南高前のバス停が見えてきた。
「いろいろとご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「いやいや、気にしなくていいよ。こっちもいろいろ考える所あったし」
「それにサインボールまで頂いて……」
「俺なんかのでよければいくらでも書きますぜ?」
「じゃあ今から部室に来て、部員全員のサイン書くとか」
「おいおい」
 バスが止まる。
「それじゃ、頑張ってください」
「あぁ。活躍する、とは言い切れないけどやるだけの事はやるよ」
「はい。ダメな時は南高野球部の監督職が待ってますから」
「そんな適当に決めていいのかよっ!?」
「フフフッ」
「それじゃ、キミの方もマネージャー頑張ってね。是非あいつらを甲子園へ導いてやってくれ」
「甲子園……、また途方もなく遠い単語が……」
「まぁ頑張ってくれよ。応援しておくからさ」
「ハイッ、竹山さんもね」
 そう言って彼女は満面の笑みを浮かべた。








 季節は流れ8月……

「放送席放送席、それに球場にお越しのファンの皆様、ヒーローインタビューです」
 アナウンサーの声がマイクに乗って、スタジアム内に響き渡る。
「本日のヒーローは、見事プロ初登板初完封勝利を挙げた、竹山投手です」
 名前を呼ばれた俺はお立ち台に上がり、ファンの歓声に応えて帽子を振った。
「いやぁもう、ナイスピッチングでした」
「ありがとうございます」
「竹岡投手は今日がプロ入りして初めての一軍登板だった訳ですが、入団して今年で五年目。ホント、待ちに待った初勝利じゃありませんか?」
「そうですね。入団してから故障の連続でしたんで、マウンドに立てただけでも嬉しいのに、それに勝ち星までくっついてきてくれて。ホント嬉しいですね」
「その初勝利が何と完封勝利。しかもヒットを打たれたのは初回だけでそれ以降はパーフェクトに抑えてましたね」
「必死だったんでそこまで考えてなかったですけど、惜しいと言えば確かに惜しいですね。まぁそんな贅沢言ってられませんけど」
「そんな初勝利の喜びを、誰に伝えたいですか?」
「そうですねぇ……、まずは今まで支えてくれた家族に伝えたいですね。あと……」
「あと?」
「母校のある後輩の娘にも伝えたいです。今の自分があるのも彼女のおかげですから」
「と言いますと?」
「はい、実はケガ続きで野球を諦めようと思った時があったんです。そんな時励ましてくれたのが、その後輩なんです」
「そうですかぁー、その後輩の方は今、テレビ中継を見てくれてますかね?」
「そう思います。野球見るのが大好きだって言ってましたから」

 ホントは彼女が見てくれているかなんて分からない。でも、出来れば見てもらいたいな、今の俺の姿を。

 あの春の日、花咲く事を諦めかけていた自分が、今こうして花を咲かせた姿を。








「竹山投手の母校と言えば、この夏甲子園に出場した南高校ですよね」
「ですね。まさか行くとは思ってもませんでしたけど」
「自身の初勝利と母校の快挙、二重の喜びですね」
「ハハハッ、ホントそうですね」


 ちゃっかり向こうも、満開の花を咲かせたみたいだけど。


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